2019/02/06
【ミューラルアートと言う世界】

【ミューラルアートと言う世界】

 

日本ではあまり目にしないミューラルアート。アメリカ・ニューヨークや、ロサンゼルス、ロンドン、オランダなど、海外では至るところで芸術的なミューラルアートがその街の風景となり、盛り上がりを見せる。そもそも「ミューラル」、「Mural Art」とは何か。日本語に直訳すると「壁画」だ。サイズは大小様々に存在するが、30mを超える巨大なミューラルも珍しくない。題材は様々だが、社会問題や、ポジティブな願いや訴えなどが多く見受けられる。近代の「グラフィックアート」と思われがちだが、その壁の所有者や管理者の承諾の有無に違いがある。許可なく目を盗んで描かれるのがグラフィックアートに対して、ミューラルアートは承諾を得て描かれているので、時間をかけられ、隅々まできっちりと仕上げる。しかし、壁に描かれるアート作品としては同じで、明確な定義があるわけではない。一方で、グラフィックアートは全てが許可なく描かれている訳ではない。グラフィックアートの面白さは【エアロゾル・ アートに迫る】を参照。

 

 

『ミューラルアートの歴史』

 

もともとミューラルアートはグラフィックの延長線上にあるのかもしれない。そもそもミューラルの発祥は明確ではなく、ミューラルアートとグラフィックアートが親密な関係にある事は確かだ。1950年頃のアメリカ西海岸・イーストロサンゼルスでは、非合法的にアメリカに入国していたメキシコ移住民『チカーノ』と言う人種がいた。彼ら移民は白人から好かれる事もなく、第二次世界大戦直後と言う状況などから、かなりの貧しい生活を送っていた。夢も希望も無い生活の中、スラム街の壁には悪人を助けるマリア像やチカーノ文化の歴史を描いた壁画(Mural)が描かれていた事は、現代のミューラルアートの起源だろう。

また1969年頃、ニューヨーク・ウエストハーレムでは、12歳から15歳の黒人とプエルトリコ人の青少年を中心に、壁にスプレーにより政治的な訴えが描かれるようになる。ベトナム戦争中の出来事だ。

その後、ニューヨークはブルックリンやブロンクスで、エアロゾル・アート(スプレー缶で描くアート)が街中の至る所に描かれていた。マイノリティの移民による、俗に言うストリートグラフィティアートだ。1970年代にニューヨーク市の壁や地下鉄内、電車などに多く描かれたことが始まりだとも言われている。 ニューヨーク市クイーンズ地区にかつて存在した世界最高の落書きのメッカ 『ファイブ・ポインツ』(5Pointz) も現代のミューラルの先駆けではないだろうか。

詳しくは【5Pointz Aerosol Art Centerを参照。

その後、ニューヨークやロサンゼルスの町並みには多くの壁画(グラフィック)が描かれた。ロサンゼルスでは、ミューラルアートのメッカとして名が知れ、多くのミューラリストが誕生した。しかし、景観を崩す過度なアートや、治安の悪化などから2002年から2013年の間、ロサンゼルスでは公共の場にミューラルを描くことが法令で禁止された。

 

 

『ミューラルアートと地域社会』

 

長い間、ミューラルアートの活動がロサンゼルスで禁止されていたが、市議会にて法令改正が行われ、許可や申請を行いミューラルを描ける事となった為、多くのミューラリストがロサンゼルスに訪れるようになったと言う。ミューラルの見方が変わってきた。より繊細に、よりアーティスティックに表現され、多くの人に良い印象を与えた。ミューラルアートは街の中心や公園、商業施設など、目立つところに大きく描かれている。その管理者のほとんどが行政や地域社会であり、パブリックスペースなどが多い。ミューラルアートは街の活性化が一つ大きな目的にある。またはその地域の特性や、その地域で今までに起こった歴史などを描いている事が多い。

 

 

ロサンゼルス・ダウンタウン、ニューヨーク・ブルックリン・クイーンズなどをメッカとし、他にもたくさんの街にはミューラルアートが存在し、今も街の活性化や地域の治安の向上を目的に描かれている。日本にミューラルアートはまだまだ少ないが、東京には多くのミューラルアートが存在する。

 

映像サムネ

【渋谷アートコレクション】

 

世界に羽ばたくアーティストが近年では日本からも多く見受けられ、東京オリンピックの影響から多くのインバウンドがあり、日本は盛り上がっている。今後日本にも沢山のミューラルアートが増え、アートと共に生活できる楽しい社会になればと感じている。