2019/02/15
【グラフィックの真実】

【グラフィックを描く本当の理由と社会問題】

 

近年、アートは人間の生活になくてはならない存在へとなった。日本でも街の至る所で、公認のアート作品があちらこちらに見受けられる。海外でのアートの経済効果は右肩上がり、アーティストの数も増加し、古典やイベントその他様々な有名ブランドとのコラボレーションは年々増加している。それを職業としている人も少なくない。海外に比べると日本にもっとアートが増え、アートに触れてる人が多くなるべきだとも思う。

今日はアートの始まりとも言われる、グラフィックアート(エアロゾールアート)の始まりや、その真相に迫る。アートの始まりは至る所で起こっている為、これが全てだとは断言できないが、今回はニューヨークで起こったグラフィックアート出来事を伝えたい。

 

それは1969年、ニューヨーク・ウエストハーレム。当時はベトナム戦争中真っ只中と言う事もあり、多くの移民が存在した。格差社会は激しく、決してどこも治安が良いとは言いがたい状況だった。人口のほとんどが社会に不満や不安を抱えていただろう。何も考えず、外で元気に遊び、友達を作り、恋に芽生えても良い年頃の12歳から15歳程の子供にまでその影響は行っていた。黒人やプエルト・リコ系のキッズたちは、スプレー缶で政治的な訴えを描くようになる。ニューヨークのグラフィックの始まりだ。それは今でいうタギングと言うもので、短時間で文字のグラフィティ、「レター」を描く。たとえば 、『Free PuertoRico!』や『 Buy Black』 など、まだまだ子供の13歳前後のキッズがそんなメッセージを記していた。その数は、国籍人種関係なく様々な少年少女2万5000人とも言われている。ここはヒップホップ文化との大きな違いである。そう、グラフィティとは人種的に分断された文化でなく、マイノリティによる、マイノリティの為の文化であると言うことだ。対するは社会という事になる。

 

『それでも広がる格差社会』

 

ほぼ同時期に特権階級、富裕層の周辺地域を迂回するような高速道路の建設が行われていた。マイノリティの居住地域であったウェストハーレムは灰色のコンクリートジャングルへと発展し、キッズペインター達はその景観を良くするべく、また一方的に行われた開発計画に対する抵抗メッセージとして、そこにエアロゾールを埋め尽くした。この活動が影響力となり、その後バスや地下鉄などニューヨーク全体へと広がっていった。そして様々な発展に伴い、グラフィティの表現も次々に発展して行った。たった数十秒で仕上げるタグは、太めにデザインした文字を違う色で縁取るスローアップや絵画的に描いたニューウエーブなど、それぞれにスタイルが確立されるようになった。

 

「グラフィティは人種や社会的立場の壁、政府による抑圧、それに所有の不平等なんかを一気に乗り越える方法を表している。さらに言うとそれは世界中の人々を結びつける方法でもある。他のどんな事もなしえないやり方。」

 

「言ってみれば政治家だって自分たちの看板を立てているだろ。やってる事は同じさ、タダで出来る宣伝だよ。俺らがやっていることはまあ、そういうやつら全員「ざまあ見ろ」って思ってるね。」

 

 

ここまでの解説や、グラフィティペインターのコメントから見て、グラフィティが単なる落書きではなく、政治的な行為であるとお分かりいただけただろうか。つまり、グラフィティは社会の下層に位置する権力の無いマイノリティの人々の申し立て手段、表現方法であるといいう事だ。グラフィティを描く事で公共物を破壊し社会や政府に不平等の存在を訴えかけているといえる。あとはマイノリティの集団の中での存在証明の手段。リスクある場所へのタギングはより賞賛され、クオリティーの高い作品は一目置かれた。警察の統制が厳しくなるほど、ストリートペインターにとっては胸が高鳴ったのだ。逆を返せば警察の取り締まりの強化は、減少ではなく増加する風潮にあるカルチャーなのだ。

 

 

『被害の実態』

 

一般市民や社会、地域、行政では、都市の景観や経済効果を損なうことが多いとして、迷惑行為と認識されている。もちろん器物破損罪、不法侵入罪などに罰せられる。商業施設などでは、それらによる営業妨害が生じた場合には企業が撤退するケースや、市民に不安を与える治安の悪化に繋がるとして、警察や行政の取り締まりはかなり強く敷かれて行った。1995年にはニューヨーク市で18歳以下の青少年にエアロゾールスプレーの販売を禁止した条例が成立している。規制が強くなっても被害は拡大して行く。

オークランドでは電車683両に対して、一ヶ月で866件の被害を受けたのは驚きだ。修繕費用年間150万ドルとされている。ニューヨークではグラフィティの除去費用に毎年1000万ドルをかけている。1980年代には最高総額が1億5000万ドルとなった。一般市民とマイノリティライターとの間で大きく亀裂が走り、価値観や、捉え方が交差して行く。

 

『日本とグラフィティ』

 

日本のグラフィティと言えば、なんだろうか。近年では滅多に見かけないが70年代に当時の暴走族が描いた漢字(当て字)のグラフィックだ。当時は峠のガードレールや、公園、廃墟、廃屋などに多く見受けられた。暴走族の消滅などにより今では存在しないに等しいだろう。

そしてもう一つは80年代後半に米国から伝わり盛んになった「グラフィティ」、エアロゾル・アートである。90年代には横浜、渋谷などを中心にクオリティの高いグラフィティが多く見られるようになった。

90年代後半になると芸術性の高いアートグラフィックの上に汚いタグや、排泄物のマーキング、所謂本当の落書きが多く見受けられた。その後2000年代には個人商店のシャッターや、電柱などに被害が相次ぎ問題となった。

これは日本と米国の文化に大きな差異が影響していると考えられる。中流社会の日本には米国ほどの格差社会はハッキリ言って存在しない。マイノリティが社会に対してのクレーム申し立てと言うグラフィティの目的は日本においては理解することができない。ファッションとしてグラフィティは受け入れられているが、グラフィティに関する正確な認識は無知であり、米国からしたら真似事に過ぎないだろう。米国からの輸入でグラフィティが描かれるようになったが、多くの日本人にとっては「グラフィティ」と「落書き」の違いの認識が無く、模倣犯が落書きを書くようになったことが近年の落書き増加の要因だと言える。とは言え、横浜、桜木町にかつて存在したグラフィックアートのクオリティは米国人にも評価されるほどの聖地であった。

 

『アートにした人物』

 

ニューヨークのタギング、グラフィック、落書きに数多く関わり、最も有名になったアーティストと言えばバスキアだ。彼はそれらをアートにした人物といってもいいだろう。バスキアは無名の頃、アンディ・ウォーホルに自分の作品を売った事でも有名で、その後多くの時間を共に過ごし多くの作品を世に出してきた。

詳しくは、【ジャン=ミシェル・バスキア】を参照

 

アメリカでは、未だに多くのグラフィックが存在し、問題視されている。日本では理解しがたいほどの、格差社会や貧困層の多さが原因であり、マイノリティによるタギングこそが本来の意味であることが明らかとなった。ストリートカルチャーが貧困層にとっての自己主張という意味があることでアートの一つとして認められるのは、アメリカであるからこそと言えるだろう。それがアートとして認められ、様々なコンテンツとして世界各国で生活の一部として存在するアートの世界は面白く、楽しく、深い。